~銀婚を迎えた夏~ ⑲

帰宅

健一と顔を合わせるなど、しばらくは無理かもしれないと思っていた私だったが、

私の手は すんなりと玄関の戸を開けた。

 

屋内から、何やらシャカシャカと作業音が聞こえた。

 

中に入ると台所が粉だらけになっていた。

周囲あちこちに、白い泡状のものが飛散している。

 

 

私は 地球をひと周りして帰宅したような気分だが、

目の前に現れた健一は「いつも通り」だった。

 

会うやいなや驚かされるなど、全くいつも通り。

 

メレンゲ作りに夢中

健一が開口一番、

「パンケーキとホットケーキって、どう違うんだっけ」と

快活に問いかけてきた。

 

どうやらメレンゲ作りに ご執心のようだ。

 

次々と泡を跳ばしあげ、

「あぁあ~(泡がまた遠くに)行ってしまった」と言いながら

無邪気に笑う健一。

 

アイランドキッチンとは実は掃除が大変だと 設置直後から実感したものだが、

その困り感は今回最大値を更新しそうだ。

 

周辺の壁はおろか、

ソファやマガジンラックにまで、泡が跳んでいる。

 

私は、あきれながらも、もう笑うしかなかった。

 

私への無関心

これまでも こんなことは何度もあった。

健一の突拍子もない行動に驚かされ、笑わされたことが。

 

ただ、以前までとは違うのは、

私の側の受け止め方だ。

 

健一の心の中には

「私に美味しいものを食べさせたい」など、ないだろう。

 

ちょっと不自然な外泊を気にかけたり心配したり、

帰宅に安堵したりなど、全くないだろう

(以前私は その私への無関心ぶりに拗ねたことがあったが、もう、遠い昔のこと)。

 

単に、ホットケーキミックスを使用しつつの「ふわふわパンケーキ」作りに夢中なのだ。

 

今はもう、すんなり そう思える。

 

それを理解した上での私の中には、

「どうせ あなたは(外泊など意にも介さず)私のことなんて、どうでもいいんでしょ」

というような気分はない

(昨日まで私は、

「どうせ あなたは」といった気分のかけらを抱えていたのだろう)。

 

ネット民 論争

どうやら、パンケーキ作りにホットケーキミックスを使う 使わないで、

今日の午前あたりに、どこぞのネット民と論争があったらしい。

 

試行錯誤の末、「ふわふわパンケーキ」が出来上がり、写真撮影。

 

論争の相手(ホットケーキミックスは使わない派)のSNSにねじ込み、

相手の反応待ちをしているようだ。

 

私は、「やっぱりこれか。またしばらく 論争とやらの続きがチャットで始まるんだな。」と思い、

少しモヤモヤした。

 

 

そして、

「あ、今、私は不愉快な気持ちになっている」と、自覚した。

 

「うん、一緒にね」

着替えて居間に戻ると、

わざわざギンガムチェックのテーブルクロスを掛けたテーブルに、

淹れたてのコーヒーと共に「ふわふわパンケーキ」が並んでいた。

 

粉砂糖、(市販の)ホイップクリーム、

ミントの葉まで あしらわれている力作だ。

 

窓からの斜陽が、

喫茶店のような雰囲気づくりに一役買っていた。

 

「ハイ!出来の良い方をどうぞ!」

明るい笑顔の健一。

 

後の掃除は誰がするの?と、軽く嫌味を言うと、

「この際、一緒に大掃除をしよう。」と言い、

部屋の一角を指さした。

 

そこには新たに買い込んできた掃除グッズがあり、

使い方自体がナゾなモノモノが置かれていた。

 

「うん、一緒にね」と言いつつ、

健一の子供のような笑顔につられて、私も笑ってしまった。

 

こんなときも

パンケーキを一緒に食べた。

わりに美味しく仕上がっている。

 

悪くはない気分だ。

 

さっき、一瞬の「モヤモヤ」の自覚はあったが、

楽しい気分で健一の傍にいる自分を実感した。

 

「モヤモヤ」「不愉快な気分」は、これまでと違って、

いつまでもモヤモヤさせておかずに

ちゃんと自分の中の引き出しに収めることが できたようだ。

 

置き場が定まったからか、何か、ラクになっている。

 

ちゃんと引き出しに収めることができれば、

カラっとあっさりと、

目の前にある楽しい時間を過ごせるようだ。

 

こんなときもあるんだ。

 

そう、こんなときも。

たぶん、これからも ときどきは。

 

いしむら蒼

 

 

サイコパスの妻 1-⑳ 新たな不快感