~銀婚を迎えた夏~ ㉓
楽しみにしている?活動
明日は、楽しみにしている「音楽研究会KK」の練習日。
…「楽しみにしているはず?のKK」。
自分の中に、違和感を覚えた。
そして、今の自分の気持ちを言葉にすると「行かなければ。」だということに気づいた。
「行きたい!」ではない。「行こうかな」でもない。
「行くのが当然だから、行かなければ」だ。
昨晩、健一が「KKでの録音を聴く」と言ったとき、
「つらい気持ち」になった。
それは、その場から逃げ出したいくらいの規模のものだった。
そして今朝、「自分の中に湧きあがってくる気分を否定しない」、
それだけで上出来なはずと、思ったばかりだ。
行かなければ
今朝、「不快な気分を否定しない」と、
自分の中にひと区切りつけたとしても、
そんな気分の大元になっている「KK練習」に「行かなければならないと思う」というのは、不自然なこと、
なはず。
だけど、
その「不自然」を自覚した今も、「KK練習に行かない」という選択肢は、
自分には ない。
要は、「気が重いのに行かなければ」ということらしい
(自分のことなのに、もう推測だらけ)。
責任感? 中心人物の妻だから?
これまでも私は、仕事や諸用に多忙であっても、
このKK練習には参加してきた。
極端な行動
風邪症状全開で熱があっても、
薬を飲みまくって参加した。
そういえば、極端な行動だと思う。
教え子や自分の子供に対しては、
体調が悪ければ外出を控えるべきと当然のように言っているのに。
もう、自分の気持ちも、本当はどう行動するべきかも、
わからない。
そして、気は重いけれど、
「楽しみにしている気持ち」も、確かにある。
プラスの気分もマイナスの気分も、両方ある…。
いずれにしても、「行かない」という選択肢はないのだ。
自分がわからない
私は自分の気持ちがわからない。
健一は私の「学歴」と結婚したんだ、とか、
子どもらは健一にとって骨太なオモチャにすぎないだとか思い至っていながら、
帰宅時、戸を開ける私の手は すっと動いた。
私や子供たちに興味がない?と不快になっても、
「でも、それだけじゃないはず」と、どこかで思い帰宅に至った、
そういうことだと思う。
そして、パンケーキを焼く健一の笑顔につられて
私も明るい気分になった。
KK練習の録音を聴くとなれば気が重くなり、
KKの練習には行きたいのに 気分は後ろ向きだ。
自分のことが わからないまま。
だけど、明日私は、KK練習に行く。
いしむら蒼
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