~銀婚を迎えた夏~ ㉗
中音域
「KK」練習で私がソプラノを担当してみることになったのは、
20年以上前のことだったと思う。
それまでは、自分が高い音程の声を出せるとは思ったことがなく、
試したことすらなかった。
中学高校での合唱や大学の声楽の授業でも、
中音域の響きが良いとされていて、
自分もそうなのだろうと思っていた。
主旋律を担当することの多いソプラノに対し、憧れの感情も なくはなかった。
が、そもそも、ソプラノ担当の女性たちは華がある人ばかりで、
自分がその中に入って
輝きを競い合うような図をイメージできなかった。
ソプラノを担当する方々に垣間見える
「私が主役よ」という感じは、
どちらかというと、苦手だったと思う。
ソプラノの段をたどると
「KK」において ソプラノ担当者の臨時調達も いよいよ ままならなくなり、
恵梨が勧めた流れもあり、
ソプラノの段をたどり声を発した。
そしたら、自分の声の伸びに自分が驚いた。
アルト以下のハーモニーに載って、
長く伸ばす音がひとしきり続き、
下声部のうねりに合わせて自分も歌う、
そんな旋律をすうっと歌い上げてしまった。
泣き笑い
ソプラノ担当は私一人きりで、
私の声が全体の最高音として教会の天上に響いた。
自分の声に驚き、感動してしまったといえば気恥ずかしい話なのだが、
なんと私の目からは涙があふれた。
居合わせたメンバーは、口々に賛辞を言ってくれた。
「素晴らしい!」「感動した!」
「温かい声質」「ブレがない」
「優しい」
「団内に こんな逸材が!」
と。
涙もろい真央は、もらい泣きしてしまった。
なんの涙?と言い合いながら、泣き笑い合った。
健一の表情
涙をぬぐいながら健一の方を見ると、
初めて見る表情がそこにあった。
言葉にすれば、「惚れ惚れした!」という感じ
(自分に関しての こんな表現は気が引けるが)だった。
かつて私は、
健一のその表情が他人に向けられるのを何度も見たことがあった。
特に音楽表現の場で。
そしてそれが、自分に向けられたのは初めてのことだった。
健一が、「安定と融和と温かさ。まるでマリアのようだ!」と言った。
目の前に十字架、
そしてマリアの像があった。
「私が主役よ、あんたら私を輝かせないさいっていうソプラノじゃない。
下声部を生かしつつ自身も輝くソプラノだ!」
「いやあ~、一番近い身内に こんな才能が!」と、
たたみかけた。
私に向けられた感嘆の表情。
私は涙に にじんだ視界の中で、
現実のこととは思えないまま、健一を見たことを覚えている。
沙耶の日
健一が「あ、身内びいきは控え目にしなきゃだよな」と言ったら、
恵梨が「いつも身内に厳しいもの。今日は思いっきりどうぞ!」と言った。
そしたら健一は「そっか。じゃ、今日は沙耶の日だな。」と言った。
メンバーも大盛り上がり、
そして健一は、「あの曲も この曲も」と、
試したい曲を次々と示した。
これまでも健一は、
新人が入ったときなど、特定の歌い手の魅力発見大会のように練習を進めたことが何度もあった。
この日の練習は私の魅力発見大会になった。
そうだった。
このとき、健一は「私を見ていた」。
「私だけ」を見ていた、そんな印象がある。
そして、この私の魅力発見大会は
このときのみで終わった
(他の人については、複数回あった)。
これを期に、
私はずっと ソプラノの担当ではあったが、
他のソプラノ担当者と共に歌うことがほとんどだった。
たまに、私ひとりで担当する場面があっても、
この日のように健一が「惚れ惚れする表情」を見せることはなかった。
また、音楽表現上の意見を求められることも徐々に減ったと思う。
団創立当初の、さまざまな演奏形態にて私のアレンジ提案場面も、
機会自体がなくなっていった。
歌い手としても、音楽表現ついても、
健一から注目されることは、以降、ほとんど なくなったように思う。
いしむら蒼
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