~銀婚を迎えた夏~ ㉛

思うことと行動は別

自分の中にある不穏な感情。

 

それを持て余していた私は、

仕事で関わった相談者の事例を ふと思い出した。

 

自分の中の「憎い相手を殺してしまいたい」という感情を

制御できないように思えて、苦しんでいた人だった。

 

私はその相談者に、

「憎しみの感情」を抱えることなんて、

特別なことじゃないと言った。

誰にでも ありうることだと。

 

憎い対象に対して「死んでしまえ」と思ったとしても、

思うということと、それを実行するという行動は地続きではない。

近いことでもない。

 

方向性が同じに見えても、

「感情の量が多いか少ないかの違い」 ではなく、

全く別物であると、切々と語ったことがある。

 

心の中に思うことと、

それをもとに行動してしまうことの間には、

方向転換のスイッチが、きっちりと、くっきりとあるのだと。

 

憎む感情

ただ、私自身はといえば、

「誰かを憎む感情」など、

実はこれまで強く自覚したことがないように思う。

 

子どもの頃から、

「平和」だとか、「お気楽」だとか言われがちだった。

 

良く言って「鷹揚」、言い換えれば「ぼんやり」しているとも言われた。

「悩みなんかないでしょう?」とも言われた。

 

それに対して「うん」と応え、

嘲笑を浴びていても、気にも留めていなかった

(大人になってからは、さすがに周囲の反応を察したが)。

 

明確な嫌悪感

その私が、

人への明確な嫌悪感を抱いている。

 

表面上の自分とは 別の自分がいるように思える。

 

いつぞやの相談者に言ったように、

「特別なことじゃない」と自分に言ってやる気には

…やはり…なれない。

 

自分のこととなれば、

日頃のカウンセリングマインドを有効活用できないなんて、

情けないような気さえする。

 

ただ…。

だからといってどうすればいいのだろう。

 

解決策を考えるどころか、

「自分の正体」を考えることすら、したくない。

 

そもそも、明らかにしたくない…のだ。

 

深堀りなんかできない

一昨日、

自分の中に湧き上がる正体不明の「不快感」を自覚したとき、

「在ってもしょうがないもの」として受け入れ、

否定せず自分との同行を許そうと思った経緯があった。

 

あれは「KK録音」を聴こうというときだった。

 

そして今日もまた「不快感」、

いや、それどころじゃない気分に見舞われている。

 

さらに大きな規模のそれ。

 

規模が大きい分、不安も強く、

深堀りするなどできそうもない。

 

そして、

そんな「深堀せずにおく以外、道がない」という自分を認めざるを得ない。

 

相談者へアドバイスしたように、

「誰にでもありうること」というか、

「自分にもありうること」と、

とりあえず、自分に言ってやりたいのに。

 

それができたらいいのに…。

 

いしむら蒼

 

サイコパスの妻 1-㉜ だらしなくて嫌だけど