~銀婚を迎えた夏~ ㊴
ここに居たのは
「ここに居たのは誰だっけ」、
そんな感覚が ふいに訪れた。
この春から、私と健一の二人暮らしになったのだから、
私と健一に決まっているのに。
なのに、思い浮かぶのは子供らのことばかり。
観たい番組があるわけではないが、
とりあえず、テレビを点けてみる。
そう、
健一は、テレビで紹介される内容に
面白おかしいコメントをしていた。
突拍子もないことをしでかし、
呆れながらも笑わされる…そんな日々だった。
けれども、そのときの健一の表情を思い出せない。
ほんの数時間前、一緒に玄関を出たというのに、
「本当に、ここに健一は居たのだろうか」 などと思えた。
息子の帰省
2階に上がると、
荷造りに関わって、出し入れした物が散乱していた。
たしかに健一はここに居たな、と、苦笑いした。
カレンダーに、
息子が来る日が書かれている。
来月から ちょくちょく帰省するそうだ。
決まった就職先に高校の先輩がいて、
地元つながりの情報収集が ゆくゆくの業務開拓につながる、とか言っていた。
息子に会える機会が増えたのは、嬉しい。
健一の不在で寂しくならないよう、
気を遣ってくれている気がしないでもないが、
息子が来るまでに掃除や片付けを済ませようと思う。
家事も疎かにして健一父子の準備に奔走していて、
掃除もせずゴミだらけなので。
そうして さしあたり、
「これをやらねば」と思えることが、良いことな気がする。
馴染みのひと
窓から戸外を見ると、
こちらに近づいてくる女性が見えた。
よく見ると、「KK」仲間の恵梨だ。
私に気づいて、手を振ってくれた。
窓を開けて、家に上がってと声をかけた。
我が家では毎年ホームパーティーを開き、
「KK」仲間を招待している。
今年は健一が不在なので、
恒例の「お盆夕涼み会」は やらないことになったが、
恵梨も その夫の智之も、
我が家の間取りを熟知するほどの お馴染みさんだ。
家族予備軍
恵梨の家は、ここから車で5分ほどの場所にあり、
今、ウォーキング中だそう。
これから公園へ向かうということで、
健一の出立についてなどの会話をしたあと、
見送ることにした。
が、まだ暑い時間帯で 恵梨の顔は汗まみれだったので、
冷蔵庫から個装のシャーベットを取り出し、
追いかけて手渡した。
恵梨は いったん おでこにそれを当て、
「(健一の不在中)なにかあったら、いつでも言ってね。
家族予備軍だとでも思って!」と、いつもの笑顔。
そして、シャーベットを口にしながら歩いて行った。
それを見送っていたら、
100mほど向こうの交差点で、
恵梨は大きく手を振って、角を曲がって行った。
見送る私の額からも、汗が落ちた。
恵梨は、独特のワードセンスがあるひとで、
これまでも
場を和ませたり、
新たな視点に 気づかせてくれたりしたものだ。
「家族予備軍」という言葉が、とても印象に残った。
庭木にいるのだろう、蝉の声が聴こえる。
暑い午後だというのに、私は しばらく
その場に たたずんでいた。
いしむら蒼
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