~晩夏 サヴァン ~ ⑤

無駄がない

そういえば、音楽に限らず、健一のやることには無駄がない。

 

考え方にしても行動にしても。

 

迷いがないのはもちろん、他からの評価を気にすることもないし、

「不安」を口にすることもない。

 

まるで予め、物事の優先順位が整理されているかのように、

本質に迫り、核心をついたことを言う。

 

ちなみに、

短時間で返信するメールやチャットで、誤字脱字は ない。

 

言葉の意味を取り違えることもない。

 

それを、読み返しもせずに実行できている

(私であれば、送信前に少なくとも2回は読み返している)。  

 

プロからの感嘆の声

音楽表現での健一の有能さは、もはや、

いわずもがな、だ。

 

特に声楽においては、

専門的なトレーニングが必要とされることを、

あっさりと やってのける健一。

 

プロの声楽家ですら感嘆の声を寄せた、長いブレス。

 

しかも弱音においても、ゆるぎなく実行できるそれ。

 

まるで神の声

ただ、訴えかける力はといえば、大きくはない気もする。

 

健一のソロは、

オペラで活躍している歌手のように

怒り、喜び、悲しみ、わくわく感などで聴衆を圧倒する感じはしない。

 

でも、強くはない、濃くはないけれど、

誰もを許し認め、浄化するかのような雰囲気がある。

 

それについて言ったのだろうか、

「まるで神の声だ」とまで、評した人もいた。

 

クリアな視界

なぜ、それらができるのか。

 

それらは、「情緒の森」がないことにより、

「すべきこと」がクリアな視界で見えるから実行できるのではないか??

 

開けた視界で ものごとの本質が見えるから。

 

無駄がなく最短距離でそこに到達できるから。

 

そう思えば、

なぜ健一が突出した有能性、卓抜した表現力をもっているかを、

全て説明できるような気がしてしまった。

 

違う海を見ながら

岬を回り込み、また景色が変わった。

 

また、大きな岩礁がいくつもある海岸線に出た。

 

そういえば、

健一について、出会いの頃から考え直したあのときも、

海辺のドライブ中だった。

 

あれからもう、一か月経ったんだ。

 

今日は、こないだの経路とは違う海を見ている。

 

私は さっきとは違う(岩礁の多い)景色を前にして、

「砂山」の一節をもう一度、

ゆっくりと口ずさんだ。

 

 

いしむら蒼

 

サイコパスの妻 2-⑥ 情緒の森のなか