~銀婚式を迎えた夏~ ⑥

容赦ない批判

我が家の日常は、健一の突拍子もない話に笑わされることが多く、総じて明るいものだとは思う。

そして、娘には甘い。

 

でも、卒業式後のダメ出しに限らず、容赦なく批判の言葉を浴びせる場面もあった。

成長を願っての苦言というより、思いつき次第の批判だったとすら思える。

 

娘は、健一から言われっぱなしということはなく、反論もする。

怒って、半泣きで抗議する娘に、健一は淡々と持論の正しさを説いたが、議論はえてして平行線をたどった。

そして健一は、どこかで急に「甘い父親」になるのだ。

そしてウザがる娘を追いかけ回したりする。

 

妻には甘くない

ちなみに、私に対しては絶対に折れない。

たいてい健一に合わせておくが、子育てに関しては譲れないこともあり、どんなに正論を言われ続けても、首を縦に振らないことはあった。

そんな私に、娘に対する場面のように急に甘くなることはない。

 

「娘に甘い父親」である健一が「妻に甘い夫」になることは 決してなかった(むしろ人前では、周囲があきれるくらいのろけるというのに)。

 

そんなとき健一は、「飲み」に行ったり、書斎にこもって得意のネット交流に 興じてしまう。

そして、興味深いネット記事を発見すると、笑顔全開で私の元に走り寄って報告したりする。

 

先程の水掛け論など、すでに霧散しているようだった。

気分を切り替えて仲直りしようだとか、そんな感じでは なかった。

 

私は これまでに何度も、「それ、今?」と 思ってきた。

そう、このときも。

 

 

ネット上の人気者

余談だが、健一はネット上でも人気者である。

友人知人つながりがベースではあるが、健一とつながりたがる人は常に増え続けている印象だ。

 

新しいアプリなどが出ると早速導入し、友人らに紹介しては、新たな楽しみ方を共有している。

 

私であれば、メール等の着信に気づかないままだったり返信が滞ると、相手に申し訳ないと思うが、健一は、放置しっぱなしはザラである。

返事がないこともまた、「健一だもんな」で済まされている。

そして皆も、健一が今一番多用しているツールに早々に切り替え、やり取りが再開している。

 

照れ隠し…じゃない

健一は、 娘の動向については、息子に対する分よりも積極的に関わる。

娘に寄り添う姿勢が あるように見えていた。

だから、娘の気持ちに無頓着ではない、はず、だ。

 

先日来から引っかかっていた言葉、「人の気持ちに無頓着」は、私に対して当てはまるとしても、

娘については当てはまらないのでは、そう思う。そう思いたい。

 

でも…違う。

 

娘の成長を喜ぶ場面である卒業式でも、娘の気持ちに寄り添う感じは見られなかった…。

 

ダメ出しをされた娘のふくれっつらを思い出す。

 

娘に苦言など 男性にありがちな、照れ隠し…と思ってみたりもしたが、そうとも思えない。

 

ステレオタイプの父親像

「ひとの気持ちに無頓着」は、娘に対する分も当てはまってしまうんだろうか。

娘の気持ちを慮ることなくダメ出しをし、淡々と責め続け、そして急に甘くなる。

娘の気持ちとは関係なく起こるそれ。

 

娘の感情に寄り添うこともなく、父親然としている?

 

娘に甘い父親を、嫁に出す(かもしれない)父親の悲哀を、

つまり「娘を慈しむ父親」役を味わっているだけ?

 

娘の気持ちに関心があるわけじゃない、というか 関心がない?

 

卒業式で涙するというステレオタイプの父親像を

味わいながら演じているようなもの?なの?か?

 

考えたくない方向に、どんどん近づいていく自分の思考を止めることができないまま、

ろくに眠れないうちに夜が明けてしまった。

 

 

 

いしむら蒼

 

サイコパスの妻 1-⑦ 出会いのとき