~銀婚を迎えた夏~ ①

あなたの夫はサイコパス

銀婚の節目を迎え、祝いのセレモニーを終えた夏、一通の手紙が届いた。


「あなたの夫はサイコパス」

 

冒頭の言葉にぎょっとし、すぐさま、怪文書だから取り合ってはならぬと思った。

と思いつつも、続きが目に入った。

 

飛ばし読みでありながらも、「ADHD」、「モラハラ」、「サヴァン」という言葉が見えた。

 

そして最後の一文には、「ひとの気持ちに無頓着」という言葉があった。

 

 

不愉快

怪文書なんて危険

見る必要もない

 

そう思い、きちんと目を通さぬまま、封筒に戻した。

 

 

証拠の保管

でも なにか良からぬことに巻き込まれた場合に備え、

証拠の保管という意味で すぐには捨てないことにした。

 

その封筒を化粧台の引き出しに入れた。

そこは、以前は大切なものを入れていたが、だんだん使わなくなった場所だった。

 

通帳や各種証明書は分別の都合から別の場所に保管するようになり、

ずっとこの引き出しは空のままだった。

 

 

ただ、「大事なものを入れる場所」として、いの一番に思い出すのは、やはり、ここだった。

 

紛失しない方が良いという程度のものを、この引き出しに入れるのは不適当な気がしたが、

深く考えずにそこへしまい込んだ。

そしてその怪文書のことは その後しばらく忘れていた。

 

 

夫との暮らしは、楽しい思い出ばかりだ。

 

夫は人気者だ。

職場においても趣味活動においても、実績を上げている。

 

他から羨まれることこそあれ、批判や糾弾の対象であるはずがない。

 

現実に合わないことを連ねた文書なんて、日常生活に埋もれ、忘れられて当然のものだ。

 

出勤前にバタバタと

怪文書到着から数日後の朝、

いつものように、夫が私に探し物を依頼してきた。

 

出勤前にバタバタと支度を始め、物探しを始めるのだ。

 

その探し物は(妻である)私の管理下にあるはずだと言い出すのも、

いつものことだった。

 

そして、実際は、夫本人の管理下にあるのがほとんどだった。

 

 

夫のこの悪癖は改善することなく、数日おきくらいに起こる。

 

結婚当初は置き場所のルールを確認したり、

翌日使いそうなものを先回りして準備したりしたが、

 

こっちが工夫しようがあきれようが、怒ってみせようが、

改善も改良もなかったので、あきらめたのだ。

 

そして今回も、当然のように私に甘え、

「ほんと、お前は冷たいよな。協力ってもんを知らないのか?」と、文句まで言う。

 

その表情は「失くしたのはお前だ」と言わんばかり。

 

とっくに私は「協力」している。

最近の夫の行動を振り返って「探し物のありか」を考え始め、まもなく結論が出そうになっている。

 

ただ 夫に言わせれば、私が頭の中であれこれ考えている最中の無表情が 気に入らないのだろう。

「協力」していることに気づきもせず、仏頂面を責めてくるのだ。

 

 

(案の定、夫の管理下にて)見つかったその「探し物」を夫に延べると、

愛嬌たっぷりの笑顔を見せる。

 

さっきの 人を断罪する裁判官のような表情とは、雲泥の差だ。

 

お母さん、怒らないの?

私のほうが出勤時間は早い。

鼻歌を歌いながらコーヒーを淹れ始める夫を尻目に、私は化粧台に向かった。

 

朝の探し物なんか これまで何度もあった出来事だが、

ふと娘の言葉を思い出した。

 

「お母さん、なんで怒らないの?」という言葉。

 

今は遠方の地で大学生活を送っている娘は、

我が家で一番、夫に厳しかった。

 

朝の探し物儀式に居合わせた娘が、夫を𠮟りつけたこともあった

(夫は娘には甘く、あっさり苦言を受け入れる)。

 

化粧の手順を淡々とこなしながら、

これまで当たり前のように過ごしてきた夫との関わりを 振り返っている自分に気づいた。

 

子供たちが進学と共に相次いで巣立ち、夫婦二人暮らしが始まって三か月。

 

してみれば、子育ての慌ただしさに紛れて あまり目立たなかった夫の「わがまま」が、

徐々に浮き彫りになってきたような気がする。

 

娘の「なんで怒らないの?」という言葉は、

至極真っ当な感覚によるものかもしれない。

 

今朝も私は、怒って当然だったのかもしれない。

 

わがまま?それとも?

改めて考えれば、

この「妻の私が糾弾されて当然のような探し物案件」は、「夫のわがまま」でしかない。

夫は私の気持ちなんか、まったく無視している。

 

「協力する気がない」と言い切り、探し物が見つかれば上機嫌。

 

私はこの「探し物案件」に関わる最初から最後まで、心の動きが無くなっている。

かつては、怒ったりあきれたりしていた。

でも、感情を波立たせても結果に影響がないと、どこかで悟ってしまった。

 

夫が私の感情を意に介さないから、自分の感情をフラットにしなければ、対応できなかったのだ。

 

 

というか、もしかして最初から?

 

 

妻の私に「いっこの人間として感情がある」ということを考えてもいない?

とも、思えてきた。

 

ひょっとすると、結婚してからずっと、

夫の行動はそうだった?

 

 

ふいに、

怪文書の中にあった「ひとの気持ちに無頓着」という言葉を思い出した。

 

その文書を入れた引き出しが、

絵画技法のマーブリングのように、

 

ぐんにゃり歪んで見えた気がした。

 

 

 

いしむら蒼(あおい)

サイコパスの妻 1-②

 

(この物語はフィクションです)