~銀婚を迎えた夏~ ⑯

遺伝の可能性は?

娘からの便りをきっかけに、

その可能性を考え始めたら戦慄が走った。

 

さきの手紙を急いで引っ張り出した

(もう何度も読み返してネット記事と照らし合わせたので、

とうにその内容を覚えてしまい、カバンに入れていた)。

 

手紙に列挙されていた特徴のひとつひとつを、

息子、娘に当てはめてみた。

そして、

どの特徴も、全く当てはまらないことを確認できた。

 

真逆と言っていいほど、当てはまらなかった。

 

大きな安堵感に包まれた。

 

 

そして、ひと息ついた後、

才気煥発、新進気鋭などと言われがちだった健一に比べ、

「凡庸」という言葉が思い浮かんだ。

 

そのことに、

少しだけ、残念感が漂う自分を自覚したが、

急いで打ち消した。

 

遺伝の行く先

ネット検索を再開した。

遺伝の可能性を調べるために。

 

複数の記事を確認した結果、それに言及するものは ほとんどなかった。

 

記述者の傾向として、

安易に「遺伝のせいで異常が起こる」という方向に舵を切りたくないような印象を抱いた。

 

ひとつだけ、環境よりも遺伝・家系に、起因ありとし、劣性遺伝に近いものにも言及した記事を見つけたが、

それは私が子らに対して配慮できる範囲にはない気がした。

孫の世代に影響することがあるかもしれないが、

それを深く考えるにしても、一朝一夕で対策できそうもないと思えた。

 

それよりも、

今は、私が目の前の問題にどう対処するかのほうが、

はるかに重要だと思った。

 

まずは私自身

今現在、子供たちは遠方にいる。

一緒に暮らしている頃に比べて、今後の健一の影響は限定的だ。

 

まずは私自身が、自分をちゃんと取り戻すべきだ。

 

ひいてはそれが、子供たちへのより良い対処につながるだろうと思うことにした。

 

私は正直、混乱のさなかにある。

渦中にある今は、自分を急かしてはいけない。

 

たった今は、この、世間から隔絶されたような場所で 引き続き休もう。

世間では朝という時間帯だが、自堕落に もうひと眠りすることにした。

 

ひと眠りし、カロリーが高そうな食事をし(意外に美味しかった)、

さらにひと眠り。

 

ただ、だらだらと

午後3時頃、ネットカフェを出た。

 

なんの結論も出ないし、ただ だらしない時間を過ごしただけだったが、

「これもアリだろう」と思うことにした。

 

まもなく一日が終わるという頃に穴倉から這い出すなど、

学生時代を思い出した。

 

外に出ると空は高く、まぶしかった。

 

帰宅方向に車を進めた。

 

途中に大きな川がある。

子供の頃、よく遊んだ河川敷だ。

 

車を停めて降りてみた。

少し傾いた陽を受けて、川面が光っている。

 

おかしいのは誰

昨日の朝、

たしかに私は健一の異常を認めるべきと思った。

でも、正直、打ち消したい思いが今も湧きあがる。

 

異常の規模があまりに大きすぎて、私は足がすくむ思いだ。

 

私の周囲の人は、全員が全員、健一に親しみを持ち、健一を求めているように見える。

子供たちも懐いている。

 

その中で私は、たった一人で、

私の見方、私の気持ちを大切にするべき?

 

誰に なんと言われようとも、妻の私の方がおかしいと思われても、

たった一人で?

 

そんなことができる?のだろうか。

 

 

 

きっかけ

さきの手紙を怪文書だと思った。

読み返した当初は気持ち悪かった。

 

見ず知らずの人間に、自分や夫を見透かされていることが、

とてつもなく不快だった。

 

 

でも、

この手紙をくれた人の言葉の中には、

「本気」が見える気がする。

 

どこの誰なのか、全くわからないが、

「私は一人ではない」と思わせてくれるものがある。

 

手紙の差出人に対して感謝する、というような気分にはなれない。

 

でも、この手紙が手元に届いたことは、

「良いきっかけ」なのだろうとは思えてきた。

 

何が、誰に対して「良い」のかは、

わからないけれど。

 

要は気分

自分の視界が、少しずつ開けているような気がする。

 

そしてそれは、悪くない気分を伴っている。

 

でもそれは、

あまりに遠い光を追ってばかりのようにも、思える。

 

全貌がわかるまで、

遠すぎるような気がする。

 

けど、「それを追う」という行動は

追っている途中の私に、

時々、

でも確かに

「悪くない気分」を もたらしてくれているようだ。

 

「要は気分だ」

何かの物語か歌詞かなにかで、

そういうフレーズに触れたことがある。

 

悪くない気分ならば、その流れに乗ろう。

 

足取りは重くても。

 

 

いしむら蒼

 

サイコパスの妻 1-⑰ 隣に立つのは