~銀婚式を迎えた夏~ ⑤
私の一言で興醒め?
夫、健一の、いきなりの表情変化。以前、見覚えのあるそれ。
上機嫌、一転、無表情。そう、いきなりの関心消失?これはいったい?
自分の寝床に入ってから、私は なかなか寝付けなかった。
私が発した言葉をきっかけに、満足気な高揚から平板な状態に一瞬で変わったことに違和感を覚えたから。
急に能面のようになった健一の表情。
酔っているから、眠いからじゃない気がする。
私の一言で興醒め?に近い気がする。
以前にも、どういう場面かは忘れたが、似たようなことが何度かあった気がする。
能面のような表情で、淡々と正論
興醒めすることを発した私のせい?
単に私じたいを気に入らないのか?
そうかもしれないが、というより、やはり言った内容のせいでは?
興奮から鎮静という変化だとすれば、
興奮:娘の恋なんて認めたくない、相手の男なんて許すもんか、などの紆余曲折の末、
鎮静:娘が幸せな思いをしているならとじんわりした末に気持ちが落ち着いた…
と仮定してみた。
でも、そうじゃない気がする。
そんな温かい「鎮静」とは違うような。
「そんなことはどうでもいい」という言い方に聞こえた。
「しらけることを言うな」に近い?
「不幸より幸福がいい」と淡々と言った健一。
ここでそんな一般論?正論?
娘の幸せ
「人として通る道」と満足げに言った健一。
でもそれは、娘の成長を喜ぶとは 何かが違う。
「好きな人に もう会えないかもしれない」と、駆け出した娘の姿を想像し、(もう過ぎたことだけど)応援したい心境になっている私と違う。
父親だから、そうなのか?
娘を取られたくないあまり、娘の幸せな表情なんて考えたくないのか?
…いや、そんな感じじゃない。
むしろ、娘の幸せに思いを馳せる気がない?のか?
父親あるある…
自分の中の堂々巡りを認識した。
つまり私はあくまで、健一のこの態度を「父親あるある」という枠組みに入れ込みたいようだ。
でも、残念ながら違う…、違うんだ。
健一は「自分が“人として通る道”」を味わえて満足。
自分が、満足。
自分自身の満足感が先に立っているようだ。
以前は、健一の行動について、さほど深く考えていなかった。
そういえば朝の探し物件以降、もう一人の自分が健一を見ているような感覚が私の中にあるように思えてきた。
何か冷めた目で健一を見始め、そして今、以前とは違う見方が浮上してきたのだ。
それ、今?
娘の学校の卒業式で涙していた健一。
成長を喜ぶ父親そのもの、なはずだったが、
その頃の様子を改めて思い出してみると、当時の違和感を思い出した。
娘を含む児童らの歌声を聴きながら涙していたが、
卒業式後、私達の元に来た娘に健一は、壇上での歌い方についてダメ出しを言い始めた。
口の開き方がなっていないだとか、拍子を理解していないだとか。
「お父さん(感激して)泣いてたよ」と伝えると娘は、「うっそだぁ」と言って友達の元へ行ってしまった。
「感動したって言ってあげたら良かったのにダメ出しなんて」と私が言ったら、
健一は、「改善点はすぐに伝えないと忘れる」と、淡々と言ったのだった。
「当然だろ」という表情だった。
私は「それ、今?」と思った。
そうだ、「それ、今?」と思ったことは、何度もあったんだ。
いしむら蒼
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