~晩夏 サヴァン ~ ⑩
広がるファン層
私達が出会った頃にはすでに、
健一は声楽ソリストとして 周囲から認められていた。
地元音楽団体の演奏会でソロパートを任されること複数回を経て、
すでにファン(面識がなくても、健一のソロを聴きたいから演奏会に足を運ぶという聴衆)もついていた。
私の耳にも いろいろなルートからその評判が届き、
徐々にファン層が広がっていることを、
(結婚後)家族である私も実感したものだった。
幼少時から
それ以前に さかのぼってみる。
健一は、地元ピアノ教室に通い、
幼少時から音楽に親しんで育った。
また、特に、両親がクリスチャンであることから、
教会音楽に早くから親しんだことは、
健一にとって意義深いことだったと思われる。
暮らしに根ざしたかたちで
西洋の音楽作品を味わう土壌になったようだ。
やんちゃ・愛嬌
中学・高校時代は、
吹奏楽部や合唱部の一構成員として活動していた。
特に目立つことも なかったそうだ。
その当時から健一を知る友人知人は、
大学以降の健一の変貌ぶりに目を見張っていた。
かたや、恵梨や真央のように、
「変貌」という認識を持たない幼馴染もいる。
恵梨や真央にとっては、音楽表現での突出した能力というより、
それ以外の思い出の方が印象に残っているようだ。
やんちゃで愛嬌がある健一とのエピソードは、
今も ときおり話題に上っている。
してみれば、私の子供たちも、父親の有能ぶりよりも「やんちゃ、愛嬌」という側面を
(最終的には)印象づけているように思える。
やんちゃといっても、不良行為にふけるとかではなく、
型に はまらない行動で、周囲から注目され、あきれられ、親しまれ…という内容だ。
サヴァンの開花
そして、大学入学後1年も たたないうちに、
声楽において一気にその表現力が開花。
大学の合唱団に所属して そのなかで めきめきと頭角を現し、
注目されるようになった。
大学は人文学部の経済学科で、音楽と関わらないため、
たいていの人はその経歴を聞いて驚いたものだ。
個別で音楽教育を受ける流れは一切なく、
ただ、自身が感動した歌い手の映像を観て真似た、
本当にそれだけのことから、この突出した表現力を得たようだ。
専門教育を受けた音楽家の歌声を、
ものまね芸人が見事に再現するという例はあるが、
健一も、それに近いものがあるのだろうか?
以降、乾いたスポンジが水を吸うように、
音楽専門教育を独学で学び、現在に至る。
天才というもの?健一の場合はサヴァンの出現?
それが、高校卒業後ということなのだろう。
ものの本によると、サヴァンの開花が幼少時とは限らないようだ。
いしむら蒼







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