~銀婚を迎えた夏~ ⑨

継続更新

いきなりのデートは とても楽しいものだった。

自然に、また会いたいと思えた。

 

健一からの提案で、

お試し期間について長めの見通しをつけたい、ということで 1ヶ月更新になった。

私から更新OKの連絡を入れることとし、健一はこっちからの連絡を待つというルールで、と。

 

以降のデートでも、いつも笑わされて、子供っぽくて憎めない健一。

 

驚かされることも 多々あった。

公園でいきなり 愛の歌を歌い上げたり。

 

その歌声は伸びやかで、

木々の枝先からそのまま空へ届くような、この世のものではないような美しさがあった

(これまでに聴いたことのない、立ち昇るような歌声で、

薄曇りで低くなった空が すぐそこに あったから なおさら)。

 

1ヶ月ごとの更新は初めの ひと月のみで、

以降、継続自動更新になった。

 

ただ楽しくて

女子中・高と、女子校で過ごし、大学も7~8割が女性で、男性との接点が少ない私だった。

 

男女交際は初めてだった私にとって、健一との交際は新鮮で目が回るくらい刺激的だった。

抱擁もその先も、甘く温かなものに覆われたものだった。

 

双方の両親とも順調にあいさつを交わし、私たちは結婚した。

 

ただ、当時を思い出してみると、交際、結婚、新婚旅行と、楽しいことばかりだったが、

なぜ この人と結婚しようと思ったかと改めて考えてみると、何かぼんやりしている。

 

自分が支えなければ

健一の両親に会った際、母親の低姿勢に驚いた私だった。

 

よく、うちの息子に付き合ってくれていると、

平身低頭、何度も何度も感謝の言葉を口にしてくれた。

 

その頃すでに、健一の車の運転があまりにマイペースなことに気づいていたので、

危なっかしい息子を危惧しての発言だろうと思った。

 

「健一をよろしくお願いします」と懇願され、使命感のようなものが芽生えたと思う。

 

 

健一は交友範囲が広く人気者であり、驚くほど歌が達者であることは理解していたが、

たしかに 車の運転以外にも、危うい側面はあった。

 

自分が傍で支えなければと思ったことが、結婚を決めた理由だったように思える。

 

あんなんだから

結婚後の25年、「自慢の夫」を支える「できた妻」を心掛け続けたように思う。

 

健一がソリストとしてステージ上で活躍する姿には、私も子供らも、感動させられた。

日頃の不満が一気に吹き飛ぶくらいの高揚感を味わえた。

 

周囲から寄せられる数々の賛辞に応じるのも、内心、誇らしかった。

とはいえ素晴らしいのは健一であって、私がそれを笠に着るような態度は厳に封じた。

 

そして私は、日頃散見される「わがまま」や「危うさ」を、周囲と強調させることが自分の役割だと思った。

 

私は結婚してからずっと、

「あんなんだから、ごめんなさいね」と、

周囲に言い続けて ここまで来たように思う。

 

 

いしむら蒼

 

サイコパスの妻 1-⑩ 子への訓示