50年分の大反省会

月日は百代の…

57歳 目前の秋

いつか「うたう指」を 手に入れるだろう、そう思って、幾星霜。

 

その間、理想と現実の狭間で苦しんでは いたが、どこか ぼんやり構えていたところも あったと思う。

それこそ、「生きてるうちに どうにかなるだろう」と。

 

「生きてるうちに?」とはいえ、もう人生の折り返し地点を過ぎていることを、

はっきり認識したのは「今さら」のタイミングだった。

 

生活基盤が変わり、諸調整も ひと区切りしたとき、

 

◇◇◇ふと。

 

すでに50代後半。

 

たとえ寿命が200年あっても、このペースでは目標演奏に到達できないのでは、と思い至った。

当然ながら身体の老化も どんどん進む。

このままで良いはずがない。

 

寿命の範囲内で、目標達成できないかもしれない。

間に合わないかもしれない。

というか、間に合いそうもない?

 

として

どうせ間に合わないなら、つらいことは辞めてしまおうか?

でも、間に合わないかも しれないからって

 

「今、辞めてどうする。」

 

という言葉が ガツンと自分の中に響いた。

 

2020年、57歳 目前の秋だった。

 

まとまった練習時間

このころ、家業中心の生活となっていたものの、研修、自身の加齢不便対応や(落ち着きの無さによるムダな)怪我など、

時間のゆとりが ありそでなさげな 現状。

 

家族に協力を要請し、周囲の状況と折り合いをつけつつ、

滞在地は方々に移り変わりつつも、どうにか工夫して、まとまった練習時間を とれるように努めた。

 

 

とはいえ、なにせ練習時間=不労時間だ。

だから、おつとめ時代の そこそこの貯金を活用しつつ、(自分内で自宅留学と銘打って)学生時代のやり直しをすることに決めた。

 

四六時中弾いているわけではなく、家業手伝い作業はランダムに はさまってくる。

練習累積時間をストップウォッチで確認し、進歩を実感しにくい流れのときも、「達成感のタシ」にした。

 

そうして生み出した「まとまった練習時間」。

以降、ピアノに向かっている間は、これまでのピアノ道を振り返る時間にも なった。

 

指の運動と思考

人生の残り時間を意識し始めたからか、生活パターンを変えたせいか、練習中の自分には 以前とは違う現象が起こった。

 

「指を運動させつつの思考」が、どんどん進むようになった。

脳トレには指の運動が効果的と よく耳にしたが、何やら相乗効果?か?などと思えた。

 

まとまった時間 弾き終えると、情報整理、分析、新発見と、ひとコース終わるような印象だった。

 

以前 気づけなかったことを解明するプロセスが楽しく、

極端な話、朝と夕方では 自分が別人になったような印象すら、(ただの思い込みかもしれないが)あった。

 

一言でいえば、大反省会。

 

50年間の経過を ひとつのテーブルに載せて行った 反省会。

 

これまで、あまり考えないようにしていたこと、忘れていたこと、逃げていたこと?

そんなことが 次々と頭の中に立ち上がった。

 

歌うシワシワ指が できるまで⑪/12「気づき」