味わう音と味わってもらえない音、そして登山ルート

味わいタイ…

知人の演奏を味わうこと

私はピアノに限らず、そもそも、知らない人(人間関係のない人)の演奏には あまり興味がなかった。

だから、プロの演奏家によるコンサートに 足を運ぶことは少なかったが、知人が出演する演奏会には積極的に出かけた。

 

身近な場面(主に学生時代)では、姉さん弟子の演奏を聴くのが 楽しかった。

 

知人の演奏は、私には出せない まろやかな音だったりした。

立ち上がりの華やかな音だったり、
誠実な音だったり。

ふんわり まとまって耀く音

流れが心地よい音

 

私がその演奏者に抱いている印象を、

音を通して味わわせてもらう、そんな感じだった。

 

そのピアノに乗って歌うことも 楽しかった。

 

なぜ私が 知人の演奏を聴きたがるのか、改めて考えてみた。

 

知人が奏でる音は これまで共に過ごしてきた共有部分を バックグラウンドに持つ音だからだと思う。

 

「その人との出会い」という、大きな意味を持つ出来事は、

私の中で「音楽を味わいたい」気持ちに、すっとリンクするようだ。

 

味わうどころじゃない私の音

私の(練習)音を聴かされた知人、家族らにとっては、

「音楽を味わう」どころじゃなかっただろう。

 

たまたま手元にあった楽譜、テレビで たまたま聴いた曲なども、タッチ増強練習に使用した。

なんにしろ、「曲」を 弾いては いる。

その練習音を小耳にはさんだ方々によると、(私の脳内では曲として つながっていても)「この無味乾燥な音の連続はなんだろう?」と思えたそう。

 

何を弾いても強すぎタッチなため、「ピアノに八つ当たりしてる?」と言われたこともあった。

 

登山ルートが以前と違う?

ところで、時間にゆとりのある学生時代はおろか、その後30年以上かけても結果を出せないのは、残念だけど はっきりした事実。

できないことについて あれこれ言い訳めいたことを考えても 仕方がないと思っていた。

「根性不足」「鍛錬不足」「手指の機能上の問題?」だろうと思っていた。

 

それにしても、中間クリア目標のつもりの「まわる指」到達までも、随分と長すぎる…(しかもそれは、以前できていたことなのに)。

 

ふと思った。

私はてっきり、「まわる指」が 途中のクリアポイントだと思っていたが、

どうやら、登山ルートが変わり、「うたう指」に向かう「いっぽん道」?

 

大学時代以降、タッチ増強練習と共に「気に入りの音」を出すことにも、こだわった(もちろん難儀)。

が、そういえば、「まわる指」に至った高校生の頃は、「気に入りの音」という発想は なかった。

 

ま、何にしても 自分を信じて(言うは易く行うは難しだけど)頑張るしかない…。

 

歌うシワシワ指が できるまで⑩/12「50年分」