新天地でのピアノの先生
ピアノの先生を勧められ…
あるとき、サークルの先輩に「ピアノを続けたいと思っている」旨を話した。
そしたら、良いピアノの先生がいると、勧められた。
私は、自分の中にすでに目標があるし、練習方法も理解していたつもりだった。
だから、先生は不要と応えたら「それほどのウデなのかぁ?」と言われてしまった。
その先輩については悪い印象は何もなく、その場も終始、楽しい談笑場面だった。
でも、フツーそう反応するよなと思った。
別な人が相手だったり、違う状況下だったりすると、
「じゃあ、弾いて聴かせて納得させろよ」と言われても おかしくないな と思った。
自分内に目標ありといえども…
実際、目標はあっても、それは遥か彼方。
現在の自分のウデは下の下なわけで、たとえ聴かせても説得力なさすぎだ。
以降、「自分内目標あり」については、その周辺の思いも含め、
安易に口にしないことに決めた。
ひとを納得させる「証拠」を得るまでは、と。
邂 逅
先輩から勧められたピアノの先生の元へ、足を運んだ。
お弟子さんに稽古をつけている様子を見学。
先生の範奏を耳にし、何かが自分の中に起こったのだろう、やけにハイテンションになってしまった。
まとまりのないことばかりを口にし、それに笑顔で応じてくれた先生。
後日、稽古をつけてもらう曲を用意して、再度レッスン場を訪れた。
範奏を聴き、何か とんでもないことが起こったと思った。
耳を疑った。
前回訪れたとき、ただハイテンションになっていて認識しきれなかったことが、はっきりわかった。
それは、「人間ワザで可能なんだ!」ということ。
私が、ずうっと遠く、遠すぎてたどり着けないだろうとすら思っていた「うたう指」が、目の前にある!
「邂逅」という言葉を、実例を伴って しみじみと噛みしめた。
その日の自転車での レッスンの帰り道は、私に鮮烈な印象を残した。
まだ高い位置にある まぶしい夕陽に向かって、
ベートーヴェン テンペスト第三楽章の音列イメージと共に、飛ぶように風に乗って走った光景。
あれから40年経った。
今も自分は あの風の中に居る!
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