「んごろゆぅ」を育んでくれた場、人々、作品群
自分語りを別な側面から
私は人からよく、マイペースな人、自由な人と言われた。
それは「ジョーシキないよ」の意味で言われたことも多々あると思う。
いずれにしても、私の周囲の方々は、根気強く私に接してくれたと思う。
私に向ける表情は、驚き顔だったり笑顔だったり呆れ顔だったり様々だが、
ありがたくも、“「んごろゆぅ」だもんな(しょうがないな)”と、無理やり(?)まとめてくれたような…。
そんな私を育ててくれた自分の周囲(場、人々、作品群)について、ぜひ、語りたい!
私を育ててくれた場
紛争などがない地に生まれ落ち、保護者に恵まれた。
まずはそれ自体が、自分の人生の初動部分を培ってくれたと思う。
次に、教育施設(学校、ピアノ教室)での学びを享受できた。
地元で学び、ずっとそのまま地元に暮らした。
一定期間、他市町村や他県で暮らし(あるいは滞在し)つつも、結局、根を下ろした場所は地元。
生まれた頃も今も、同じ川のほとりで暮らしている印象だ。
私を育ててくれた人々
伸び伸びと過ごせる子供時代を提供してくれた保護者(調子をこいては よく叱られた(^.^)が)、
新たな視点や視座を与えてくれた友人、
学校やピアノ教室の先生、
真摯に働く姿勢と様々なスキルを学ばせてくれた おつとめ時代の同僚や関係者、
そして、長くは45年以上もの期間、共に歌い合わせた合唱仲間。
そのなかで、私に極上の学び、大切な「気づき」をもたらしてくれた出会いが いくつもあった。
感謝してもしきれない。
もし、来世というものがあるなら、ぜひ、また出会いたい。
そのときは、こちらから とびっきり豪華な座布団を用意してお迎えしたい!
私を育ててくれた作品、作家、アーティスト
上記の貴重な場、出会いにより、私は 多くの学びを得た。
そして、縁あって出会えた作品、それをもたらしてくれた作家・アーティストからも、私は多大な影響を受けた。
「スキ」で選んだ作品は、私の精神世界を構築する栄養になった。
生まれ落ちた場所での流れ(学校など)に乗る学びとは別に、
私の元に届いてくれた、出会ってくれたことに感謝している。
(クラシック音楽の範疇は後述するとして、)
まずはそれ以外のジャンル、領域について述べたい。