「んごろゆぅ」を育んでくれたマンガ作品
今も追い求めるマンガ作品
小学校高学年から、マンガに はまり込んだ。
それは大人になってからも続き、書店のコミックスコーナーを練り歩き、好きな作家の作品を買い込んだものだ。
マンガ本物色中の私を見かけた知人によると、あまりの集中ぶりに、声掛けできなかったとのこと。
今はネットで購入しているが、街角の書店が衰退する前までは、書店で、ひいきの作家の作品を見つけることを楽しみにしていた。
マンガ作品は私の視野を広げ、多様な価値観をもたらしてくれた。
多くの学びや感動を与えてくれた作家さん達を列挙(敬称略)。
柴田昌弘 松本零士 山田ミネコ
内田春菊 山岸凉子 小川彌生
魚喃キリコ 山本直樹 樹なつみ
久米田康治 江口寿史 明智抄
二ノ宮知子 一色まこと 安達哲
かわかみじゅんこ 石坂啓
西炯子 ジョージ朝倉 吉田秋生…(ありがたやありがたや…)
マンガ作品を読み、感動のあまり号泣ということは、今でもある。
それは映画やドラマ鑑賞でも起こることだけれど、手元にあるマンガ本は、のちに、感動シーンを抜き出した状態で何度でも味わえる。
物語の流れの中だけで終わらない感動は、私自身の経験と密接にからみ、
心の奥に沁み込んだ。
私の考え、行動の足場となる土壌を作ってくれている気がする(ちなみに、私は 単行本での購入派)。
「心の栄養」?「癒し」?摂取の時間
改めて振り返る。
おつとめ時代、ピアノ練習について、その環境・時間の確保に努めていた。
のわりには、小説にしろマンガにしろ、書籍を読む時間は、あった。
夜中に練習できないとか、周囲情況に制限されるとかがあったにしろ、
もっと血眼になって練習環境・時間を確保することも できたはずなのに。
実際のところ、理想と現実のギャップに耐え、手に不自然な負荷をかけて行った練習時間は、長く保てないものだった。
年月を重ねるにつれ、ピアノに向かう時間の「つらさ」は、割合が減っていった。
その分、「喜び」を味わえる割合が増えた。
とどのつまり私は、「つらさ」が先立つ時代、ピアノ練習時間を長く保てない現実のなか、別の流れによるものを享受していたのだ。
ピアノ練習以外の活動や読み進めた書物は、私にとって、
「心の栄養」であり、「癒し」だった。
それら全部、練習時間も栄養摂取時間も、
私の血肉となって 今に至ったのだと思う。
“私を育ててくれたのは1-③「栄養と癒し」” への1件のフィードバック