~銀婚を迎えた夏~ ㉒

明日はKK練習

「第三土曜日、3時の茶の時間に、音楽を味わい合おう」

健一が放った言葉をそのまま実行し、今に至る

「音楽研究会KK(夫:木戸健一のイニシャルに由来し、健一ファンの集いともいえる)」の練習日は明日。

 

今月は諸都合による変則日程で、月曜日の祭日に行われる。

 

私はこのKK練習を、ずっと楽しみにしてきた。

 

音楽表現を愉しむ喜びを味わえるから、

そして、気心の知れた馴染みのメンバーと過ごせるから。

 

大規模ステージ

「音楽研究会KK」は、地方の一音楽グループにしては、耳目を集める活動がある。

 

(健一つながりによる)著名な音楽家からのオファーで、

大聖堂での1ステージを任されることもあった。

 

全国規模で参集される行事での出演依頼もあった。

 

それらに、メンバー個々の音楽性には ばらつきがある状態であっても、出演してきた。

 

 

「聴衆を うならせる巧みな表現」と、

「期待値によるオブラートで包み込まれ?どうにか難なくやりすごした表現」が混在していたが、

依頼が途切れることはなかった。

 

30年近くの活動

メンバーはそれぞれが仕事に就いていて、

趣味として音楽活動を愉しんでいる。

 

健一が活動内容を主導し、

創立時から関わる智之が広報や事務的役割を担い、

「音楽研究会KK」は、かれこれ30年近く続いてきた。

 

この間、家族の延長のように密接に関わってきたメンバーもいれば、

短い期間で入れ替わったメンバーもいる。

 

転勤などの理由で去った人も、

徐々に足が遠のいていった人もいた。

 

なんぴとも

健一はクリスチャン(このことについては、後述)で、

練習場所も、たいていは健一が家族ぐるみで関わる教会で行われることが ほとんどだ。

 

そして健一は、この活動への門をたたいてきた人について、

「なんぴと」も、受け入れたいと

よく口にしていた。

 

「なんぴとも教会に受け入れる」、ヨーロッパで古くから成されていただろうそれを、

実行しているように見える。

 

実際、健一は、足を運んできた人を大切にしている。

 

各自の都合により、練習に参加したくても時間を捻出できないメンバーに対するフォローも、

よくしていた。

 

その流れで、メンバーの諸事情について、健一や私の元に情報が集まりがちだ。

 

だから、メンバーのなんらかの困りごとについて、

健一はもちろん、私も相談に応じ、励ましたりしてきた。

 

寄り添う言葉

健一が、困りごとを抱えた人に寄り添う言葉を発している場面を見たことは、

何度もある。

 

家族に病人が出たというメンバーに対し個別で、

「力になれず申し訳ない」などと言ったりしていた。

 

KK活動ではないが、水害に見舞われたネット上の知人に、

「すぐに駆けつけて、一緒に泥の掻き出し作業をして共に汗を流し、少しばかりのビールをあおって、労い合えたらと」と

見舞いの言葉を寄せたりしている。

 

いずれも、心からのものだと思うし、

言われた相手が健一への信頼感をより強くしていることも、見て取れる。

 

(ただ、そういった「急場」での「思い遣り」は、

日常生活を共にしている私たち家族に対するものとは別物という印象がある。

 

そうやって、ちょっと遠い人に対して見せる気遣いを目にするたび、

「健一にそういう一面があったんだっけ」と、

意外なものを見たような気分にさせられていた。)

 

親族以上の身内感

練習日以外の日でも、

メンバーとの「次の練習日に娘の成人式の写真を見せるね」「うわぁ~楽しみ!」などのやり取りがある。

 

毎年夏には、メンバーの家族も含むホームパーティーを催し、

合唱・合奏も楽しみつつ談笑したりと、

時間を忘れて楽しく過ごした。

 

特に古参のメンバーとは、

子供たちの成長を共に喜び合い、

事故や病気に見舞われれば励まし合ってきた。

 

そうして私たち夫婦は、

この馴染みの仲間と、住まいは別であっても、シェアハウスに住んでいるかのような濃いコミュニティーを形成していたと思う。

 

今では親族以上の身内感がある。

 

無理なく参加の集い

あくまで趣味の活動だから、

負担に思わない範囲での参加が妥当で、

自身や家族の体調不良などがあれば、練習を休むのも妥当だと、私も健一も思っている。

 

でも実際、私自身については、特別な理由がない限り、「行かない」という選択肢はない。

 

練習日、仕事の都合などで やむなく遅刻や早退をすることはあっても、

たとえ最後の5分だけの参加であっても、私は、足を運んでいた。

 

健一と違って練習をけん引する立場ではなかったが、

そうしていた。

 

一方、古参のメンバー以外では、

欠席の連絡がないまま休む人もいた。

 

中には単に「気が乗らないから、練習を休む」、

そんな流れが推察されることもあった。

 

ステージ発表が近い場合を除いて、

私も健一も、そういう消極的な気分を否定するつもりはなかった。

 

無理を重ねれば長続きしなくなるし、

良い表現活動にも つながらない、

と思っていたので。

 

同一姿勢とフォロー

私と健一はずっと、同一姿勢でKK練習に携わったと思う。

 

健一が勢い余って行き過ぎた行動をとったときは、

私(や智之)がフォローにまわり、

円滑な流れを保てるように努めてきた。

 

メンバーの中には、健一と違う指導方針や音楽づくりを主張する人もいたが、

そのときは間に入り、

健一じゃない側の肩を持ったりした。

 

そうこうしているうちに、たいていは なにか折り合うところが見えてきて、

結果的に、穏やかさや優しさ、そしてちょうど良い程度のスパイスが効いた流れにたどり着き、

音楽づくりにも反映されたように思う。

 

明日はその「KK」練習日。

明日はその練習日。

楽しみにしている それ。

 

楽しみにして?いる?

 

日付を確認する流れで見たカレンダーの

横にある

写真が目に入った。

 

そこに掲示していたことは、しばらく忘れてた。

 

教会で結婚式を挙げたときの写真だ。

 

色褪せ、輪郭もぼやけて、ソフトフォーカスのよう。

 

 

楽しみにしている?はず?

 

 

いしむら蒼

 

サイコパスの妻 1-㉓ 行かなければ