目の前の「うたう指」
至福の時間
私にとって、レッスン室で 目の前で繰り広げられる「うたう指」を聴く時間は、かけがえのない時間だった。
演奏会に足を運んで聴く、テレビ視聴、レコード(後にCD)を聴く、
どれも、レッスン室で味わう先生の演奏に かなうものはなかった。
奏でられる音全てが、それぞれの役割を果たしつつ 歌っていた。
全く同じ部分を繰り返すリピート演奏では、(ことさらに、一度目二度目の強弱等の差をつけなくても)
一度目とは違う二度目の魅力を味わわせてくれた 先生のピアノ。
ピアノレッスンは、私にとって至福の時間だった。
レッスンでの喜びと日頃の練習
私自身、どんな音列でも自在に弾けるという境地には 程遠かった。
でも、先生の指導の元、一音が意味するところを映像イメージで捉え、強弱や緩急の微調整等において 新たな流れを得て演奏できた。
それは開眼と言っていいような、視界が開けるような印象があった。
でも、レッスン室を出て日頃の練習に戻ると、
新たに得た喜びを追認しつつも 運指能力の限界を見せつけられた。
その落差はとても大きく、目を背けてしまいたいほどだった。
いつか「うたう指」で弾けるはず…
その理想と現実の落差は大きすぎた。
理想が高くゆるぎないものになった分、なおさら。
情緒不安定に陥ったことも あった。
でも、それに耐えて ピアノ練習を続けた。
が、理想は いつまでたっても遠いままだった。
それでも、いつか「うたう指」で弾けるはず、
そう自らを鼓舞し続けたものの…。
常に不安定要素を抱えつつも、
学生時代は まとまった時間を練習に費やすことが できた。
が、就職後は そうもいかず、1日に5分しか練習できない日もあった。
どうにか工夫して練習を続けたが、社会人として未熟で 一人前になるべく努めるべき時期に、
「趣味」の くくりに入るピアノ練習を、優先できない。
もう諦めた方がいい?そう思えたこともあった。
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